あきる野の「歴史」に触れる
[2012年4月16日]
[2012年4月16日]
平安時代に書かれた『 延喜式神名帳 』という神社の名簿の中に、武蔵国多摩郡八座の筆頭にあげられるほど有名な古社で、文化財もたくさん所蔵しています。
阿伎留神社の御神輿は天保年中に制作された六角神輿です。屋根と胴は珍しい六角形でできていて、とても貴重です。
毎年9月28・29・30日には例大祭が行われ、檜原街道沿いにたくさんの夜店が出て賑わいます。
雨武主神社(あめむしゅじんじゃ)の本殿は秋川の南側、明神山にあります。196段の長い石段を登った先にある本殿には、中国の書物などに登場する人物や故事を描いた彫刻があります。
秋川を挟んで対岸には、「鳥居場」と呼ばれる雨武主神社の鳥居があります。ここは昔雨間地区に住む人々がわざわざ秋川を渡らなくても参拝できるよう、明神山を見渡せる所に鳥居を建て、そこから雨武主神社を拝んだ場所とされています。
平安末期、信州伊那谷の石工達が移り住んでこの神社を開いたと伝えられています。社号の「岩走」は、秋川の激しく流れ落ちる滝の様子からとったものです。
9月14・15日に行われる祭礼では、御輿や山車による氏子巡りがあり、明治初めから伝えられてきた「重松ばやし」(市の無形文化財)も奉納されます。
大塚古墳は王塚古墳とも呼ばれ、高さは約6メートル、周囲は約130メートルあまりあります。この大塚古墳はほとんど円墳の形をしていますが、築造当時には方墳(四角錐)だったのではないかと言われています。
秋留台地には多くの古代住居遺跡が見られ、特に瀬戸岡古墳群は有名ですが、大塚古墳は瀬戸岡古墳群とは比較にならないほど規模が大きく、貴重なものとされています。
宝蔵寺本堂の前には観音堂があり、尾崎観音呼ばれ親しまれています。
本尊は如意輪観音の秘仏で、寺伝によれば源頼朝の側室丹後局の守本尊として頼朝から遣わされたもので、弘法大師の作と伝えられています。
秘仏が胎内仏であるため、安産や子授けの観音様として根強い信仰があり、たくさんの願掛け絵馬がかけられています。
創建は応安6年(1373年)で、戸倉の正応長者の妻(法名龍応智雲尼)が堂宇を建立したと言われています。本堂、庫裏のほか、山門、総門、経蔵、鐘楼と格式のある禅宗の伽羅を残しており、境内地域全体が東京都指定史跡になっています。
茅葺の山門と本堂が珍しく、その間に立つ二本の大イチョウの姿は見事です。
また、本堂裏にタラヨウと庫裏の北にカヤの巨樹があり、共に東京都の天然記念物になっています。
寛平3年(891年)、秋川対岸の日照山に建てられたと伝えられ、延文元年(1356年)に現在の場所に遷されました。東京都の指定文化財である薬師堂は、室町期の建築様式を残しています。真照寺には他にも市指定有形文化財の山門や、耳を当てると遠い海の音が聞こえると伝えられている「如玄和尚の石室」などがあります。
真言宗豊山派のお寺で、建久2年(1191年)に源頼朝の命により、源平合戦で名を馳せた武将、平山季重(ひらやますえしげ)が建てたと言われています。
阿弥陀如来像や仁王門天井絵、、伊達政宗からの白萩所望状など、優れた文化財を数多く所蔵しており、特に、木造の伝阿弥陀三尊像は、国の重要文化財に指定されています。
二宮神社は明治期までは、小河大明神・二宮大明神と称していました。府中の大国魂神社(武蔵総社六所宮・大國魂神社)所祭神座の第二席に「二宮 小河大神」と記載されることから「武蔵二の宮」とされています。明治三年に社号を二宮神社と改めました。
鎌倉・室町期の大石氏の居城であった二宮城が二宮神社の境内地にあったとされ、「二宮神社並びに城跡」として東京都指定旧跡になっています。
毎年9月8~9日に行われる祭礼は「しょうが祭り」と呼ばれ、神輿が練り歩き、生姜などを売る露店も並び、とても賑わいます。また、現在でも続く農村歌舞伎「秋川歌舞伎」の伝承地でもあり、祭礼時には舞台も行われます。
敷地内には二宮考古館があるほか、付近には「お池」と呼ばれる湧水池(東京の名湧水57選の一つ)があります。