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あきる野市寺院一覧

[2017年4月12日]

寺院一覧
名称所在地宗派概要説明   
法林寺
(ほうりんじ) 
小川東2-12-10臨済宗
南禅寺派 
寺伝によれば延喜12(912)年2月21日に開かれたといわれている。応永年間(1394~1428)に、大江道広を開基とし、法光円融禅師により再興された。北東側に土塁があり、中世大石氏との関係が指摘される。御朱印寺領25石。
宝清寺
(ほうせいじ) 
小川101 日蓮宗本寺は、市内唯一の日蓮宗で、身延山久遠寺の末寺である。開山は法清院日信、開基は元和年中(1615~1623)大御番を勤めた青木勘左衛門という。最初は、東照山と号していたが、宝永年間(1704~1711)に水谷信濃守が祈願所としたことにより、水谷山と改めた。
慈眼寺
(じげんじ) 
小川484 臨済宗
南禅寺派 
開創は応永7(1400)年と伝えられ、開山は法林寺三世の天輪光琦禅師で、開基は大江氏と伝えられている。大江氏は法林寺を開いた大江道広の一族で、片倉城を中心に八王子南部地域に勢力を振るっていた。
林泉寺
(りんせんじ) 
小川650 臨済宗
建長寺派
正安元(1299)年に創立され、開基は大隅土佐守と伝えられている。しかし『新編武蔵風土記稿』の法清寺の箇所の記述によると大隅でなく小川土佐守と記されている。開山は普門寺二世義堂可礼禅師である。
広済寺
(こうさいじ) 
平沢732臨済宗
建長寺派
創建は天正15(1587)年2月で、椿山仙禅師を開山とする。享保改革において、一介の草奔から幕領3万石の代官に抜粋された平沢出身の民政家、田中丘隅の回向墓(都指定有形文化財)がある。
玉泉寺
(ぎょくせんじ) 
二宮2265 天台宗
延暦寺派 
創立は不詳。現本堂・山門・鐘楼は元禄4(1691)年第4世詮海の代に落成という。明治6(1873)年から明治24(1891)年まで、東秋留小学校の前身二宮小学校として使われていた。市指定天然記念物のエノキがある。
新開院
(しんかいいん) 
野辺435臨済宗
建長寺派
長禄元(1457)年の創立と伝えられ、本尊は大日如来。飛地境外に薬師堂があり、明治初年廃仏分離令の際に鎌倉の鶴岡八幡宮から遷座した、薬師如来・日光・月光菩薩及び十二神将を安置している。
普門寺
(ふもんじ) 
野辺450臨済宗
建長寺派
文永6(1269)年北条時宗によって、二宮神社の廃社跡地に建てられ、山号もこれに由来して神護山と名づけられたと伝えられている。当初は鎌倉の寿福寺末でしたが、明治初年に建長寺末となっている。
西光寺
(さいこうじ) 
雨間1076天台宗
延暦寺派 
文明2(1470)年、順興法師を開基とし、亮千によって創建。慶長18(1613)年、火災により焼失、寛永13(1636)年に再建された。観音堂には、聖観世音菩薩とともに養蚕の神様といわれる馬鳴菩薩も安置されている。
地蔵院
(じぞういん) 
雨間1101 臨済宗
建長寺派
永享10(1438)年の創立で、享徳年間(1452~55)になって碧山有泉禅師を請じ開山した。本尊は地蔵菩薩。養蚕の神として知られる金色蚕姫像がある。境内には、都天然記念物カゴノキと市指定の板碑やカヤがある。御朱印寺領10石。
福徳寺
(ふくとくじ) 
油平246 臨済宗
建長寺派
古くは延命山福泉寺と称したが、創立は不詳。昔、寺のあった付近は太刀塚と呼ばれていた。明治43(1910)年に牛沼にあった徳重院と合寺して福徳寺と改名した。本尊は十一面観世音菩薩。市指定文化財の山門がある。
真城寺
(しんじょうじ) 
上代継344 臨済宗
建長寺派
観応2(1351)年、足利基氏が開基となり、大光禅師復庵宗己を請じて開山としている。その後、天正7(1579)年に八王子城主北条氏照が再興したと伝えられている。本尊は延命地蔵菩薩。市指定天然記念物のシダレザクラがある。御朱印寺領7石2斗。
金松寺
(きんしょうじ) 
下代継340 臨済宗
建長寺派
康安元(1361)年、足利基氏の草創で、開山は広徳寺2世江印禅師の法嗣、俊輪宗心禅師である。天正年中(1573~92)、甲斐国の城主北条左京太夫が再建している。御朱印寺領8石4斗。
観音寺
(かんのんじ) 
渕上354 臨済宗
建長寺派
寺伝では、足利基氏の開基とされるが詳細は不詳。嘉吉元(1441)年5月広徳寺2世江印徳西堂和尚が隠居創立している。本尊は聖観世音菩薩。境内にある薬師堂は昔睦橋通り付近にあったものを移している。
宝泉寺
(ほうせんじ)
引田681臨済宗
建長寺派
後奈良天皇の天文年間(1532~55)に、小田原城主北条氏康が村の北東方下原旧字仏土というところに小庵を開き、薬師如来を安置したのが始まりと伝えられている。
真照寺
(しんしょうじ) 
引田863真言宗
豊山派
寛平3(891)年、僧義寛上人によって創建されたと伝えられている。本尊は不動明王である。享禄4(1531)年に現在の地に遷された。都指定有形文化財の薬師堂と、市指定有形文化財の山門がある。朱印寺領7石。
花蔵院
(けぞういん)
草花1740 真言宗
豊山派 
弘長3(1263)年に創立されたが、古くは花ノ岡の地にあり、園花山明王寺と称していた。徳川期には5石の御朱印を賜っている。正徳3(1713)年に造られた山門は、市の有形文化財に指定されている。
慈勝寺
(じしょうじ)
草花1811 臨済宗
建長寺派 
文治4(1188)年畠山重弘の娘で畠山重忠の伯母にあたる円寿院のために創建されたと伝えられる。天正18(1590)年八王子城落城の際に伽藍は焼失した。境内には都天然記念物のモッコクや市天然記念物のタブノキがある。
陽向寺
(ようこうじ) 
草花2542 臨済宗
建長寺派 
応永3(1396)年の創立で、開山は玉仲建琇禅師。初めは原小宮にあったが、後に現在の地へ移転したという。慶安2(1649)年徳川家より寺領として高5石を賜っている。本尊は木造釈迦如来の坐像。
大行寺
(だいぎょうじ)
草花3036真言宗
豊山派 
建永2(1207)年創立と伝える。本尊は不動明王である。開山当時、平山左衛門尉季重の祈願所であったが、その後寛正年間(1460~65)には、小宮上野介憲明の祈願所になっていたと伝えられている。御朱印寺領10石。
宝蔵寺
(ほうぞうじ)
菅生263 曹洞宗
永平寺派 
宝光寺7世、寛永元(1624)年示寂の泰翁慶初大和尚の開山とされているが、開山以前にも多くの僧があることから、初めは天台宗で泰翁慶初大和尚のとき、曹洞宗に改宗したと考えられている。御朱印寺領5石。
尾崎観音
(おざきかんのん) 
菅生263曹洞宗
永平寺派 
宝蔵寺境内にある観音堂で、宝蔵寺7世鼎堂官周和尚の代に建立された。本尊には如意輪観世音菩薩が祀られており、「尾崎の観音様」として親しまれ、お堂の前には安産を願う絵馬がたくさん奉納されている。
福泉寺
(ふくせんじ) 
菅生629 臨済宗
建長寺派 
開山開基不詳。当初は西の高台にあったものを後世に現在の地に遷したという説がある。寺裏の墓地に、自然石2基、地蔵菩薩1基があり、菅生太郎の子孫の墓といわれている。スッテクリョウ伝説との関連が深い。市指定の画像板碑がある。
蔵守院
(ぞうしゅいん) 
菅生1767曹洞宗
永平寺派 
天正6(1578)年7月、丸山整重和尚が開山。本尊は木造千手観世音菩薩坐像。大正2(1913)年に大日堂を残して焼失したが、翌3年に庫裏、大正12(1923)年4月に本堂を再建している。
珠陽院
(しゅよういん)
瀬戸岡511 臨済宗
建長寺派 
応永8(1401)年桃英洞和尚が開山。本尊は阿弥陀如来立像。慶安2(1649)年幕府から御朱印10石を賜った。明治には平井学校瀬戸岡分教場として使用されていた。
瑞雲寺
(ずいうんじ) 
山田496 臨済宗
建長寺派 
足利基氏の母瑞雲寺殿喜渓忻大姉が開基となって創立し、常州水戸高岡の法雲寺開山大光禅師復庵宗己を請じて開山とした。大光禅師の没年から推測して南北朝の文和年間(1352~55)前後頃と考えられる。御朱印寺領8石。
能満寺
(のうまんじ)
山田879 臨済宗
建長寺派 
創立は応永5(1398)年で、開山は広徳寺開山の心源希徹禅師、開基は瑞雲寺殿喜渓忻大姉である。古くは秋川を隔てた向かい側にあったが、元亀3(1572)年に現在地に遷し再建されたと伝えられる。御朱印寺領7石2斗。
松岩寺
(しょうがんじ) 
伊奈376 臨済宗
建長寺派 
創立は延文2(1357)年で、開山は戸倉光厳寺桂岩円楚禅師、開基は不詳である。慶安2(1649)年徳川家光より阿弥陀免として高5石が寄進され、以後代々同高の御朱印を賜っていた。
龍性寺
(りゅうしょうじ) 
伊奈1343真言宗
豊山派
摩尼山と号し,横沢にある大悲願寺の隠居寺であった。天文10(1541)年、大悲願寺10世有雅法印退院の時、庵室として開創された。本尊は高さ1尺余りの勢至菩薩立像である。
明光寺
(みょうこうじ) 
伊奈1463 臨済宗
建長寺派 
創立は康安2(1362)年。開山は戸倉の光厳寺9世星丘集禅師で、開基は不詳である。室町時代に足利家より寺領の寄進があり、後には徳川家より代々御朱印5石が寄せられていた。
成就院
(じょうじゅいん) 
伊奈1568 真言宗
豊山派
横沢の大悲願寺の末で、文明元(1469)年大悲願寺7世重賢退院の時に開創された。本尊は木造不動明王並びに童子。昭和初期には尋常小学校として、また昭和14(1939)年には農繁期託児所として本堂を開放している。
禅昌寺
(ぜんしょうじ) 
網代241 臨済宗
建長寺派 
創立は大永7(1527)年、開山は天甫鏡岩禅師、開基は不詳である。網代には妙台寺という寺があり、貴志嶋神社の別当寺として同社の祭祀を行なっていたが明治初年に禅昌寺へ合寺されている。本尊の聖観音菩薩は俗に「枕返し観音」といわれている。
大悲願寺
(だいひがんじ)  
横沢134真言宗
豊山派
建久2(1191)年源頼朝が檀越となり、澄秀を開山として平山季重が創建したと伝えられる。開山の澄秀が醍醐の三宝院と関係があったことから長く同院の末であったが、明治29(1896)年大和の長谷寺の末となった。国指定重文をはじめ伊達政宗の白萩所望状など都・市指定文化財など多数。
正光寺
(しょうこうじ) 
舘谷84時 宗市内唯一の時宗寺院。嘉元3(1305)年二祖他阿真教上人が開創したと伝えられる。金玉山と号し、八王子川口村法蓮寺末であったが、現在は藤沢市の清浄光寺(遊行寺)が本山である。本尊として阿弥陀三尊像を祀っている。御朱印寺領16石5斗。
福寿院
(ふくじゅいん)
三内601 臨済宗
建長寺派 
創立は文安年中(1444~49)と伝えられる。開山は広徳寺3世天叔和尚の法嗣明天察禅師で、開基は明善庵主である。山号を徳円山といい、本尊は聖観世音菩薩である。
徳蔵寺
(とくぞうじ)
入野18臨済宗
建長寺派 
創立は文明13(1481)年で開山は柏芳樹禅師と伝えられている。江戸時代に、1反5畝の除地があったほかは、開基・由緒などは不明。本尊は地蔵菩薩立像。
真光院
(しんこういん) 
深沢23臨済宗
建長寺派 
創立は文明18(1486)年で、開山は梅岑祖香禅師、開基は大田道灌と伝えられる。康正2(1456)年ころ、江戸城築城の際に深沢から多くの木材を搬出しており、その貢献に対して真光院建立に援助があったという。本尊は釈迦如来。
楞厳寺
(りょうごんじ)  
五日市576 臨済宗
建長寺派 
その昔、北寒寺集落の人々が協力して念仏堂を建て、薬師如来を安置して竜言庵と称した。文明8(1476)年入野の開光院開山咒嶽珊禅師の徒弟、竜翁公禅師を請じて開山とした。現在は薬師堂のみが残る。
開光院
(かいこういん)  
五日市691臨済宗
建長寺派 
開創は文安5(1448)年で、開山は小和田の広徳寺第2世江印和尚の実弟咒嶽珊禅師である。開基は刀鍛冶入野宗真という。文明10(1478)年には太田道灌がしばらく滞陣し、寺領の寄進もしている。本堂・庫裏は市指定有形文化財。御朱印寺領16石。
玉林寺
(ぎょくりんじ)  
五日市926臨済宗
建長寺派 
創立は暦応2(1339)年で、開山は明叟斎哲禅師、開基は檜原城主平山氏と伝える。本尊は釈迦如来で、日光・月光菩薩の脇侍がある。本堂の天井絵は市指定有形文化財。御朱印寺領15石。
玉泉寺
(ぎょくせんじ) 
五日市1188 臨済宗
建長寺派 
創立は文暦元(1234)年、開山は鳳惠法印。往昔は大悲願寺末であったがその形跡を無くし、慶長19(1614)年に広徳寺10世徳叟馨禅師を開山として再興されたという。本尊は十一面観世音菩薩。
大光寺
(だいこうじ) 
高尾218 真言宗
豊山派
草創は、文亀2(1502)年に高尾村領主平山氏の祈願所として、大悲願寺9世恵伝の弟子秀等法印を開山とし、不動尊を安置して明王院と号したのが始まりと伝えられている。御朱印寺領9石1斗。
広徳寺
(こうとくじ) 
小和田234 臨済宗
建長寺派 
初め正応長者の妻が堂宇を建て、建長寺70世心源希徹禅師を請じて開山としたが、後に正応長者が寄進し伽藍を整備した。天文20(1551)年大石源左衛門道俊が寺領9ケ所を寄進して再興している。境域は都の史跡、タラヨウ・カヤは都天然記念物、総門、山門は市指定有形文化財など多数。御朱印寺領40石。
光厳寺
(こうごんじ) 
戸倉328 臨済宗
建長寺派 
北朝第1代光厳院の勅を奉じて、足利尊氏が建武元(1334)年に正宗広智禅師古先印元を開山として創建した。本尊の釈迦如来は都指定有形文化財。境内のところ芋の碑やヤマザクラなど文化財も多い。御朱印寺領20石。
普光寺
(ふこうじ)
戸倉1056  臨済宗
建長寺派 
文明2(1470)年に星竹の山下五郎右衛門、黒山太郎左衛門が発起人となり、村内外の篤志家とともに堂宇を建立し、光厳寺17世大樹存松禅師を請じて開山とした。本尊は十一面観世音菩薩。
徳雲院
(とくうんいん) 
乙津511臨済宗
建長寺派 
開創は明らかではないが、開山は戸倉の光厳寺21世雲英台東堂禅師で、天文年間(1532~55)の中頃の創立と推定される。本尊は薬師如来。落合加茂原から出土した貞和5(1349)年の板碑を保存している。歌人三ヶ島葭子の歌碑がある。
陽谷院
(ようこくいん) 
乙津999 臨済宗
建長寺派 
開山は戸倉の光厳寺28世天叟宗祐禅師(天正15(1587)年寂)である。江戸時代に2反1畝2歩の除地を持っていた他、寺伝は明らかでない。本尊は馬頭観世音菩薩。
龍珠院
(りゅうしゅいん) 
乙津1422臨済宗
建長寺派 
創立は貞治2(1363)年、戸倉の光厳寺10世日峰朝禅師を請じて開山とし、開祖は心叟徹禅師。記録によると龍珠軒瑚月凌珊首座公家開基の寺である。慶安2(1649)年徳川家光より寺領9石8斗の御朱印を賜っていた。寺紋に三ツ鱗と三葉葵の二つを有する。本尊は観世音菩薩。
明光院
(みょうこういん)
乙津1859 臨済宗
建長寺派 
開創は弘治元(1555)年とあるが、詳しい由来は不詳。開山は光厳寺24世春谷西堂和尚。本尊は、薬師如来。明治初期には乙津村の「日新学校」として使用されていた。

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